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秋刀魚も手開き

先日、スーパーで秋刀魚を買った。

旬の生秋刀魚ではない。

解凍の、しかも、おそらく、賞味期限を伸ばすために、塩振りして、「塩さんま」などとネーミングされた秋刀魚である。

私は秋刀魚が好きではない。

その理由は、塩焼きにしたときの苦い内臓と、骨の多さである。

それに、旬であっても値段に見合う美味さを感じないし、塩焼きではなく、刺身にしても、ほんの少量しか食いでがないから割高に感じる。

だからと言って、解凍の秋刀魚は安いが、美味しさの要である脂の乗りは、「目黒の秋刀魚」に程遠く、安くても買う気がしない。

私にとって、秋刀魚はオールシーズンで買う理由がない。

ではなぜ、そんな秋刀魚を買ったのか。

毎日の食卓に同じ魚ばかりでは芸がない。

損を覚悟でも、バラエティに富んだ魚を食卓にのぼらせることで、アクセントを効かせ、総合評価を上げることができるのである。

この度、秋刀魚には食卓のアクセントという、ニッチな役割を演じてもらうために協力してもらった。

さて、家に帰って、秋刀魚をさばいた。

さばいた?

塩焼きならさばく必要はないはずでは?

私は塩焼きしたときの、苦い内臓と骨が嫌いだ。

だから、内臓も骨も取り除くのだ。

スタイルは蒲焼き、腹から開いて、中骨を取り、脇腹の骨を削ぎ取る。

しかし、頭の中で描いた流れと、実際は違った。

生の秋刀魚もそうだが、解凍となると、身がボロボロでなかなか綺麗にさばけない。

切るつもりが、ちょっとの力加減のミスで、身が潰れる。

潰れると、私の取るに足らない調理技術のプライドが傷つき、いらつきを覚える。

そして、秋刀魚ごときにイラつく自分が情けなくなり、更にイラつく、イライラしていると、力の加減を誤り、身が潰れる。

身が潰れると、私の取るに足らない調理技術のプライドが傷つき…。

と負のスパイラルに陥りながらもなんとか最後の一匹に取り掛かった。

イラつきが頂点に近づき、「なんでこんなにボロボロなんだよ」と心中叫びながら、怒りに任せて、包丁の代わりに、身の中に指を突っ込んだ。

んっ?

するりするりと、指が骨に沿って入っていく、反対もやってみる。

するりするり。

骨が取れた。

この感覚は、鰯に似ている。

中骨を取ったら、脇腹の骨を削ぎ取る。

指で開いたから、当然に身はボロボロに見えるが、骨に身はほとんど付いておらず、身のロスが少ない。

偶然にも正しい秋刀魚の開き方を見つけたらしい。

一匹だけの成功だけでは自信が持てなかったので、後日、また何匹か買ってきた。

手開きしてみると、実にスムーズである。

手開きとは関係ないのだが、骨が無く、丸かじりできる秋刀魚の塩焼きは美味い。

魚をさばくというのは手間だが、比較的簡単に、骨が除けるとなれば、食卓のメジャー魚である鰯と同格を与えてもいいかも知れないと思った。

ここでひとつ説明しなければいけないことがある。

秋刀魚を手開きした。

と書いているが、純粋な手開きではない。

包丁は使う。

私がする鰯の手開きも同様で、少し、包丁を使う。

いくら手開きができるからといっても、包丁を使ってはいけないというルールはない。

綺麗に無駄なく捌くには、手も包丁も必要に応じて使うのがいい。

そして、私の手開きの方法は、自分が編み出した、といいたいとろだが、あるユーチューバーの動画参考にした。

この人は寿司職人で、魚のさばき方は参考になるのだ。

リンクの動画は鰯の手開きの方法で、私はこれを真似した。

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