近頃、興味を惹くものは、宵に食い物を漁り歩く、アライグマである。
そう、あの「あらいぐま・ラスカル」のアライグマである。少年から与えられたミルクキャンディーを、頬にキャンディーの形を作りながら、バリバリの噛んで食べる姿はとても可愛らしかった。
小学生の頃、再放送の世界名作劇場を好きでよく見ていた。
このトロントでそんなキュートで賢い彼らを見るのが楽しい。
ある夜、玄関先でぼんやりと座っていると、幾つかの黒い物が、歩道との境にあるフェンスを潜り、ゴミ箱に向かうのが見えた。
最後の一つは、フェンスをくぐる前にぴたりと止まった。
小さく白く光る目がこちらを向いた、アライグマだ。
成り行きを伺っていると、大きなゴミ箱の中を出たり入ったりしながら食物を漁っているようだった。
一匹が何かを齧っていると、獲物がまだ見つかっていない1匹が、隣から横取りしようと、右の前足を伸ばした。
食事中のアライグマは略奪者の気配に気付いたようで、キッと歯をむき出し、威嚇した。
その他のアライグマは、しばらく、ゴソゴソとゴミ箱を荒して、気が済むと、皆揃ってフェンスを潜り、向いの家へ向かった。数えると全部で5匹いた。
行った先の家で、5匹集まっている姿は、ひそひそと何か相談でもしているかのようである。
結論が出たらしく、今度は敏速に、私の家のすぐ右隣の家の木に登りはじめた。
少し登っては下り、木の下でウロウロする。たまに、キィキィと争う声が聞こえた。
アライグマたちの日々のドラマを鑑賞するのはとても愉快だ。
別の夜、私が外に出たとき、ちょうど食事中だったらしく、扉の音で驚いて、逃げる1匹を見た。
ちょっと悪いことをしたかな、と思いながら、何を食べていたのか気になって、おもむろにゴミ箱に近づくと、ガタガタとゴミ箱が動き出した。
もしや、とゴミ箱に注意を向けると、蓋が開いて、もう1匹が出てきた。
私との距離が大変近かったので、慌てふためいた様子で、家の裏庭の方へ駆けた。
裏庭へは一枚の丁番の付いた簡素な扉がある。
手製の扉は風が吹いて、キィキィと鳴らないように留具をしてあるが、15cm程の隙間が空く。
急いで逃げるアライグマは、その隙間から逃げようとしたのだが、下半身が通らず、体の半分のところですっかり挟まってしまった。
挟まってから十数秒ほどジタバタしていた。
ちょっとやそっとでは出られないと分かると、急におとなしくなって、だらりと私の方に尻を垂れた。
私はじっと物音を立てずに見ていたので、そのアライグマは誰も追ってくるものがいなくなったと、半ば安心して、動くを止めたのかもしれない。
ただ、このまま挟まっているの見続けているわけにもいかない。
ちょっと扉を押してやった。
寝耳に水とばかりに、またジタバタと、今度はよほど驚いたらしく、さっきよりも激しく動いた。
滑稽に思えてふっと笑ってしまった。
押し開いて、余計に隙間が空いたこと、アライグマがより激しく動いたことによって、挟まっていた下半身が、スポッと向こうへ抜けた。
アライグマはずんぐりと太って見える。
ただ子供の頃はそうではないようだ。
それは、また違うある夜、部屋でくつろいでいると、キーキーというような甲高い、泣くような鳴き声が聞こえたので、外に出て、声のする裏庭にまわった。
屋根を見上げると、1匹の大人と1匹の子供のアライグマがこちらを見下ろしている。
どこかへ去る様子もないので、何事かが起きているのだろうと思い、周辺を見まわした。
塀の脇に何かを解体した後の角材、板材、トタン材などが積み上げれている。
それらの隙間から動くものが見えた。
よく見ると、子供のアライグマが、中でうずくまっている。
よく見てみようと覗くと、奥に逃げた。
逃げた先で運悪く角材と板材の間に挟まって、身動きが取れなくなってしまった。
私が覗いたのがいけなかった。
木材を動かし、庭に出してやった。
屋根を見ると、まだ親と思われるアライグマがこちらを覗いていたので、部屋に戻って、お詫びに、手のひらの一杯分のシリアルフレークを救出したアライグマの子供前に置いて、部屋に帰った。
なぜ、あのような状況が起こったのかそのときはわからなかった。
数日経って、語学学校から帰って来ると、アライグマを救出した日と同じように、屋根の上で親と子供のアライグマ、それぞれ1匹がまたこちらを見ている。
あの子供のアライグマがいない。
もしや、救出して庭に放したあと、何かに襲われたか、と一瞬、不安になったが、視線を庭の方に戻す途中、一段下の屋根の上で、1つの黒い影が目に入った。
あのときアライグマだ。
なるほど、そのアライグマはまだ木登りが上手く出来ないのだ。
「おーい、早く上がっておいで。大丈夫、お前なら出来るよ」
「もう、これ以上は怖くて上がれないよ。戻ってきてよ」
「だめだめ、お兄ちゃんだって、最初は怖かったけど、頑張ってここまで上がれるようになったんだぜ」
「お兄ちゃんが出来るようなったんだよ。お前だって出来るよ。頑張れ」
「どうしよう、怖いよう、怖いよう」
鳴き声からこんな会話を想像しながら、少しの間眺めていた。
アライグマは手先が器用である。
手のひらに物を乗せたり、掴んだりできる。
その手の動きがとても可愛らしい。
またずんぐりとした体つきも可愛らしさに輪をかける。
意外なのは、キーキーと鳴くこともあるが、またブーブーと豚のような鳴き声も出す。
私がはじめて聞いたアライグマ鳴き声はブーブーの方で、抱いてイメージのギャップで少し幻滅した。
私の住む家の前で見られるぐらいだから、トロントの至るところにアライグマはいる。
私は、愛くるしいな、と眺めているが、ゴミ箱を荒らしたり、多少兇暴になると、人に危害を加えたりするので、社会的には害獣扱いされている。
職場で、ウエイトレスの女の子に、好きな動物は何かと聞かれた。
今時分に
「好きな動物は何か」
などという質問に可笑しみを覚えた。
たぶん、新しく入って来た異国の人に興味があったのだろう。
だから、何か質問したい、という気持ちが先立って、質問自体は考えが及ばなかったのだろう。
質問に
「アライグマ」
と答えると、ちょっと眉間にしわを寄せ、ちょっと渋い顔で
「あなた、変な人ね」
と言った。
日本なら、野良犬や野良猫、カラスが好き。
と言っているようのものだろうか。
そんな外国人がいたら、私だって
「君は変なやつだ」
と言いかねない。
ゴミ収集や、農業に従事しているわけでないし、また家を持っていないから、家主のゴミ箱が荒らされているのを見ても、私には実際の被害はない。
見ているだけなら、なんと言われようが、ラスカルの幻影をまとったアライグマは、私にとって未だ可愛い動物なのである。