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旅の記憶

ジョリージープ

「君たちが食べるているなら、私も食べる」

言葉と文化の違う人間がどのように、毎日ご飯を食べているのか、それを見て、そして体験するのが外国での1つの楽しみだ。

腹が減るのはどこにいても変わらない。

私以外の人間も腹は減る。

日本人でも、中国人でも、アメリカ人でも腹は減る。

腹が減ったら飯を食う。

言葉と文化の違う人間がどのように、毎日ご飯を食べているのか、それを見て、そして体験するのが外国での1つの楽しみだ。

名物や伝統料理のような、商業的な、アイデンティティーをアピールするための食い物は好まない。

例えば、外国人にアピールする日本食と言えば、寿司、天ぷらが定番だが、私達日本人にとっては「ハレ」の料理で、別に食わなくたって恋しくなる味ではない。

日常的な食べ物、ご飯や漬物、うどん、そば、味噌汁、納豆。

私は、それを食わないと力が出ない、というような、「毎日の食べ物」を食べることで、その国に住む人々ををいくらかでも知ることができると思っている。

フィリピン滞在中の食事は専ら、路上屋台で食べた。

屋台は「ジョリージープ」と呼ばれている。由来はよくわからないが、単純に、もともとはジープを改造して屋台に仕立てたことが由来だろう。

今は、曲線的なフォルムが名残りで、屋台は、しっかりと路面に打ち付けられ、固定されている。

ジョリージープが庶民の味なのかどうかは知らないが、少なくとも、食べる事を楽しむレストランというよりは、生きるための食べ物を提供する場所というほうが近い。

しかも、ハイソな人々ではなく、よれたTシャツにハーフパンツ、薄っぺらくなったビーチサンダルのスタイルの「普通」の人達が、朝、昼、晩と立ち寄る店なのである。

私は勝手にこのジョリージープを庶民の味と決めつけて1ヶ月ばかり通い続けた。

私の「上品」な体には堪えた食事だったが、ともあれ、いい経験になった。

ジョリージープはどこにでもあるわけではない。

あるところにはあるがないところには全く無い。

営業可能地域と、そうでない地域が、明確に存在していると思われる。

私は家の前と、学校の近くの店でよく食べた。

それぞれの店にはそれぞれの品揃えがあるのだが、同じ店に通い続けると、さすがにマンネリしてくるので、ときには足を伸ばして他の店でも食べた。

しかし、うまい店や、働いている人が魅力的だったりすると、料理のバリエーションに飽きていてもそこで食べた。

食い物屋だからといって、働いている人は、料理の上手いおばちゃんばかりではない。

確かにおばちゃんは多いが、男も女も、老いも若きも、そして、ゲイもレズビアンも関係なく働いている。

私は活気と若さを感じるジョリージープが好きだった。

年齢は関係ない、テキパキと額に汗して働いている人を見ると、いいな、と思って吸い込まれてしまう。

そしてなにより、彼らと相対したときの、彼らのはにかむような笑顔は、食べ物以上に私の心をつかむのだ。

老いも若きも働いているが、「若き」の下限が子供にまで及んでいる。

しかも、平日昼間も働いているの見るから、学校に通っているかどうかも怪しい。

時どき近寄ってくる、子供の物乞いに比べれば、生活の状況はまだマシであろうが。

ジョリージープの食事をするのは、地元の生活に溶け込めるようで、とても好きなのであるが、子供が働いているのを見るのはいくらか心苦しい。

ジョリージープで注文する

ジョリージープの提供する食べ物にフレッシュなものはない。

どれも、ディープに煮るか、焼くか、揚げたものである。

それぞれの料理が、ステンレス製もしくはプラスチックのバットに入っている。

店での注文と食べ方は、まず、並んでいる料理の入ったバットから好きなものを選ぶ。

次に、ご飯を注文する。

ご飯は茶碗一杯で1単位として数え、欲しい分量を伝える。

仮に、うどんの玉だと考えれば良い。

必要であれば飲み物を注文する。

水を用意している店もあるが、水道水のせいか、ポリタンクに長時間入っているせいか、臭くて飲めたものではない。

ちょっとまずいというならまだしも、反射的に吐き出してしまう程だから、日本人は利用しないほうが良い。

理由は知らないのだが、飲み物は「マウンテンドュー」が人気である。

どの店にも置いてある。

コーラはなくてもマウンテンドューはあるのだ。

ジョリージープに限ったことではなく、飲み物といえばマウンテンドューなのである。

時折、マウンテンドューだけを大量に載せたトラックが走っているのを見かけるほどだ。

容器は瓶入りで、瓶はリサイクルされる。

私は、おかずを1品か2品と、ご飯を1つ、ちょっと喉が乾いているときはマウンテンドゥーを注文する。

たまに、トロピカーナのオレンジジュースを注文するのだが、果汁100%ではなく、僅かな果汁にブドウ糖と香料の入ったソフトドリンクと化している。

なぜ、マウンテンドューがこれほど浸透しているのか、トロピカーナは100%ジュースではないのか、別に調べてもいないので、今もって謎のままにしてある。

車内用にマウンテンデューを買うと、こうなる。

ビニール袋に乗せて

さて、注文が終わったら、持ち帰りか、ここで食べるかを伝える。

ジョリージープではビニール袋が欠かせない。

ここで食べると伝えると、皿にビニール袋を被せ、そこに注文した料理を乗せるのだ。

食事が終わればビニール袋だけを捨てて、皿は再利用する。

持ち帰りの場合は、ビニール袋に料理とご飯をそれぞれ入れてくれる。

ビニール袋は日本のスーパーで、ロールで置いてあるような薄いビニール袋である。

その中に料理を入れるのだから、持ち帰りの方法として抵抗を感じるのは否めないが、フィリピン以外でも、同じように、料理を直接ビニール袋に入れる習慣を持つ国もあるので、存外ポピュラーな方法と思われる。

コメの違い

かつて、米が不足してタイ米と呼んだインディカ米が食卓にのぼる時期があった。

パサついて酷くまずかった記憶がある。

長くてパサつく米は、どうしても当時の記憶が蘇ってうけつけない、という人もいる。私も基本的に日本の米が好きだ。

パサついた米は箸ではパラパラして掴みづらいし、風味も薄く、ちょっと臭くもある。

日本米の方がインディカ米よりも優れていると思っていた。

しかし、そうではなかった。

日本米が優れているのではない、食べ方の違いだったのだ。

フィリピンではタイ米のような長くパサついた米が主流である。

ジョリージープで食事をする人々を観察すると、その米の一番適した食べ方が分かってくる。

パサついて長い米は、煮物の汁やスープを混ぜて食べる。

日本のように、おかずと米を別々に食べない。

1つの皿におかずとご飯を乗せる。皿の中心でおかずの汁とご飯が交わる。

一口分だけ汁とご飯を混ぜ、スプーンですくって口に入れる。

猫まんまのように全てを混ぜてはいけない。

おかずが複数ある場合、他のおかずが楽しめなくなる。

汁気を吸って、柔らかく、そして、おかずの風味が加わるとタイ米は劇的に美味くなる。

腹の張りがキツくなるまで、スプーン動きが止まらない。

おかずによって値段は様々だが、肉類は高くて1品50ペソ、ご飯は1つ10ペソだ。1ペソは約2円なので、おかずは高くて1品=100円でご飯は1つ=20円ということになる。

パレス

ジョリージープには「パレス」と呼ばれる料理を専門的に売るものもある。

そして、これがフィリピンで私の最も好きな食べ物の1つだ。

長く炊いて、黄色くなった飯と、とろみのついた牛すじのスープのセットが、パレスと書かれたジョリージープで供される。

また「マミ」と呼ばれる黄色い麺があり、それも一緒に注文すると、スープに麺が入った状態で出される。

食べ方は、スープを飯にかけて、掻き込む。麺が入っている場合は麺も一緒に飯にかけて、掻き込む。

日本のねこまんまの食べ方と同じである。

スープのトッピングに、ガーリックフレークと青ネギを刻んだものがあり、自由にスープにかけていい。

パレスの店は遠くからでも発見できる。

大きな鍋と人だかりが目印だ。

パレスは朝食として人気らしく、朝は、食べる場所を確保できないほどに混み合い、食べる場所が確保できなければ、場所が空くまで並ばなくていけない。

味も美味いし値段も安い。店により幅はあるがご飯とスープのセット3〜40ペソである。

パレス
パレス(マミ入り)

食の安全

ジョリージープでの食事は値段も安いし、人との交流もあって愉快であるが、味について共通していることがある。

それは大量のうま味調味料が使われていることだ。

実際に、あの白い粉末を入れているのは見たことがないが、味の素が大量に使われた場合の、あのなんとも言えない味のしつこさを感じた。

残念なことに、大好きなパレスは如実にうま味調味料の味がする。

学校の先生から、ジョリージープではうま味調味料だけではなく、ほとんどがインスタント食品を使っていると教えられた。

だから、非常に味が濃く、塩っ辛い。

ある程度裕福な人達が、ジョリージープで食事をしないのは、化学調味料をふんだんに使い、また店によっては、路面で車の往来があるにも関わらず、料理に蓋をせず、車の排気ガスに晒されているからだという。

学校に来ている生徒で、会社の社長をしている女性と食事をする機会があった。

レストランはグリーンベルトと呼ばれる、高級なモールにあった。

料理の値段は、日本の居酒屋と同じくらいであったが、フィリピンの物価水準からすればかなり高級であろう。

彼女は、店の用意した水を飲まなかった。

代わりに、ボルビックやビビアンなどのボトル入りの水を注文した。

いわく、このようなレストランでも、水は信用できないとのことである。

また、格差の著しいフィリピンにおいて、富裕層に対して嫉妬を抱くものも少なくなく、出される料理や飲み物に何をされるかわからないという。

経済格差に対する妬みはともかく、食品の安全性や衛生面には意識的な注意が必要であり、どんなに安くても一定水準の食の安全は確保されている日本とは異なる。

フィリピンでは、清潔さと安全には金を払う実際的な価値があるのである。

なるほど、フィリピンに来て以来、どうりで毎日腹を下していたわけだ。

トイレ回数が多くなった他は何もなかったので、気にせずにいたが、単純に食べ物が体に合わなかったのではなく、もしかすると、私は毎日、有毒なものを食べていたのかも知れない。

衛生的でない、安全でもない、とわかっても屋台通いはやめなかった。

どうせ短い期間だけ、ということもあったが、それ以上に、ジョリージープで食べるのは心地よかった。

体が触れそうな程にひしめいて食事をしながら

「ちょっと、そのライムを取ってくれ」

「ほらよ」

「悪い、あと醤油も」

「はい、はい」

後ろから、紙幣を掴んだ手が出てくる。

店の人に届かないと見える。

「俺が渡すよ」

誰の勘定かしらないけれど、私は金を受取って店の人に渡す。

「サラマット(ありがとう)」

食事が終わって、皿を返す。

「いくら?」

「シーシグとご飯で60ペソだよ」

「喉乾いたな、マウンテンドュー貰える?あとタバコ1本」

「20ペソと6ペソで26ペソね」

「ありがとう」

食後の一服をマウンテンドューで楽しむ。

食後に一服をする習慣はないのだけれど、彼らに倣ってやってみるのだ。

ただの観光客に過ぎないのだけれど、そこの住人かのように演じてみると、自分以外は本物なのだから、それこそ本当に自分は住人になってしまったような気になってくる。

何度も同じ店に通うと、自分だけではなく、店の人の態度も変わってくる。

私を見るなり、微笑むのである。

その笑みは、口角を引き上げただけの、作られた笑顔ではない、照れくささ、はにかみを含んだ親しみの笑顔なのだ。

良くも悪くも

 食べ物の安全性や衛生面、品質、味の良し悪しは、十分に気を使わなければいけないということに異論はない。

だとしても、それらをどれほど正確に把握できるだろうか。

味や食後感だけでは正確には推察することは出来ない。

わからないから、ニュースや人の伝聞に左右され不安になってしまう。

日本のような高度に管理された環境だから良いものを、安全なものを選べるが、フィリピンでは難しい。

あえて、安全なものを求めても、その途方の無さに、途端に馬鹿らしくなってしまうのだ。

私は、彼らを信じることにした。

「君たちが食べるているなら、私も食べる」

わからないことに不安になって、何も食べられないよりも、よっぽどマシなのだ。

もし、フィリピンに行くことがあれば、是非ジョリージープで食事をしてほしい。

言葉がわからなくても不安になることはない。

何にしても警戒は必要だが、まずは彼らの言うとおりに食事をしてみよう。

ビニール袋の皿や、ハエのたかる屋台を気にせずに。

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