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旅の記憶

異文化までチャリで5分

トロントで過ごす日々が心地良い。
少し自転車を走らせれば、様々な文化圏に足を踏み入れることが出来る。
まるで、コンパクトにまとまった世界旅行である。

仕事を見つけ、新しい住まいに引っ越してから1月が経った。

トロントに来たはじめは、慣れない土地と不安定な生活に、めまぐるしく時間が過ぎたが、仕事にありつき、部屋も見つかって暮らし始めると、日本にいるときと変わらない、単調な日が続くようになった。

つまらないわけではない。

毎日、人や街を眺め、日本とは違う職場の雰囲気を楽しんでいる。

生活のリズムが安定してきたという方が適切かもしれない。

職場までは、$150で買った「ジープ」ブランドのマウンテンバイクで通勤している。

通勤経路上であれば寄り道をすることもあるが、食料品店かLCBO(酒屋)くらいで、大抵まっすぐ職場に向かい、仕事が終わればそのままの足で家に帰る。

ある休日、気晴らしにサイクリングでもしようと、自転車に跨いで、大通りまで出た。

右に行けばいつもの市街地へ、通勤では市街地へ向かうのだが、気晴らしだから、左にハンドルを傾けた。

ひと月あまりも新住居に住んでいるにも関わらず、家の周辺についてはほとんど知らなかった。

いつもと反対の方向に自転車を向けただけで、近所とは思えない、全く知らない景色があった。

家々が並ぶ、つまらない道を5分ほど走っていると、中東色の強い通りに変わった。

比較的多くの、ベールやスカーフで顔や頭を覆っている人が道を歩いている。

ケバブなど中東系レストラン、サトウキビとトウモロコシを売る屋台、肩掛け色彩豊かな民族衣装を売る店。

イスラム系専門のスーパーマーケット。

イスラム教の専門書でも扱かっているのか、イスラミックブックストアなる本屋もあった。

私の住まいは、トロントに二つあるチャイナタウンの古い方の近くに位置する。

中華系の人々とその店が多い。

道端の掲示板に張られている、借家などの広告は、英語よりも中国語で書かれている方が圧倒的だ。

中華人が住人の相当数を占めているわけではないのだが、中国語の使用率が非常に高い。

スーパーや道を歩いていると、若い人よりも、高齢者を多く見かけるから、たぶん、彼らは移民をしたけれども、英語を習得しておらず、もっぱらこのチャイナタウン内で生活していると思われ、英語よりも中国語を使用したほうが、理解できる人が多いのだろう。

また、若い人ほど、インターネットを活用して広告を出すだろうから、余計に、通りで見かける掲示板には中国語の広告が多いのだ。

さらには、よく利用するRBCという銀行や、中華スーパーではお客さんと話す第一言語も中国語である。

銀行ではすぐに言語を切り替えて英語を使用してくれるのであるが、スーパーでは「何だお前は、我々の言語である中国を話せないのか」という顔つきで渋々、英語を使用してくれる。

従業員の中には英語を話せない者もいるので、「私は話せない、あいつに聞け」と言うふうに指をさして指示してくる。そこで買い物をしていると、中国を話せなくて、申し訳ない気持ちになってくるのが不思議である。

イスラム系タウンがしばらく続くと、次に緑の多い住宅街に入った。

木々のクッションで街の騒音は柔らぎ、変わりに葉擦れの音が優しく耳に入ってくる。空気は濃い。

右手に墓地が見えた。

よく手入れをされた芝生の上に整然と墓石が並んでいる。

看板にはノルウェーのカトリック系教会という意味のことが書いてあった。道なりに、墓地をぐるりと回るように進み、覚えのある名前の通りに出たので、来た道に引き返した。

曇り空から通る薄明かりも次第に無くなり、姿は見えないが陽が落ちたようだ。

辺りはぼんやりと暗い。涼しく清潔な風が吹いている。

この日はイスラム色の強い地域があることを知った。

それもたかだか自転車で5分のところだ。

家から、この日とは違う方向に行くと、ギリシャタウンがある。

通りの表示板はギリシャ文字で書かれ、店の看板にもギリシャ文字で文字を使用しているのも少なくない。

ギリシャはヨーロッパ文化圏だから、トロント市街地との雰囲気とそれほどの差異は感じられない。

はじめて通ったときは、しばらく気付かず、ふと、表示板に見慣れない文字が使われて、「おや」と思ったくらいである。

トロントには他にもいろいろな国のコミュニティの地域がある。

そのほとんどについては私は知らない。

ただ、私の住まいからほんの少し自転車走らせるだけで、中東系イスラム、ギリシャ、中国の全く異なった3つの文化圏の地域が存在することは、日本しか知らない私にとっては大変な驚きだ。

カナダは移民の国である。

しかし、彼らは移民した後も、故郷の文化と習慣をそのまま保ちながら生活している。

あるビールの缶にこんなことが書いてあった。

It’s been said that “ Canada is the only the country in the world that knows to live without identtity ”

canuck pale ale

カナダは、カナダ人であるというアイデンティティを持たずに生きていける唯一の国であると言われている。

カナダに来てから、カナダ人って何なんだろう。

という疑問があった。

カナダらしさ、つまるところ、それらはいつかの時点で、移民によってもたらされた文化が元になっている。カナダの固有のものって一体何か。

職場の同僚に、このビール缶の文句について聞いてみた。

彼は、確かにカナダらしさみたいなものはあまりないかもしれない、それがカナダの文化的な問題の1つであるが、また同時に、その「ない」ということがカナダらしさではないだろうか。

これがカナダとアメリカとの違いだろう。

彼らは「私はアメリカ人だ」という強い意識をもっている。

だから、移民したらアメリカ人にならなければいけない風潮があるが、カナダにはない。

アグレッシブな自国文化の押し付けがないのがカナダであって、そして、これが私がアメリカよりカナダの方が好きな理由の1つだ。

と答えた。

私は日本以外ではこのカナダでしか暮らした経験がないが、暮らし始めてから、何となく、居心地の良さを感じていた。

その理由は「らしさ」のない「カナダらしさ」があるからだろう。

だから、住んでいても、働いていも、外国人扱いされない。

ただの人として、日本人であることも忘れさせるような環境に気持ちがいいのである。

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