質問:筋トレしたら、筋肉痛ならないと筋肉つきませんか
答え:筋肉痛=筋発達ではありませんが、大事なサインです
目次
ジムで誰かに会うと
「昨日のスクワットで、もう足がバキバキだよ」
と、にこやかに筋肉痛の自慢を聞くことがあります。
彼は決してマゾヒストではありません。
筋肉は壊して大きくなるのだから、トレーニングをしたら筋肉痛がなければ意味が無、という考えが一般にあるからなのです。
でも、本当に筋肥大には筋肉痛が必要なのでしょうか。
筋肉がつく理由
そもそも、筋肉は筋トレをしないと、つかないわけではありません。
筋肉が必要だと思うから、またそうデザインされているから、筋肉が発達するのです。
筋トレを行うと、筋肉に普段よりも大きな負荷が掛かります。
すると、体は手持ちの筋肉ではその大きな負荷に対して不十分であると、認識することで筋肉を増強します。
外界の状況によって手持ちの筋肉の量を調整するのです。
筋肉は活動をするために重要です。
しかし、余分なスペックは無駄になります。
筋肉は維持するのにエネルギーが必要ですし、余分であれば体重が重くなって動きづらくなるだけです。
体は環境に応じて、適切に筋量を調節します。
筋トレは「外界の環境」を意図的に変化させることで筋量を増やそうとする行為です。
さらに、あらかじめそうデザインされているから、という理由でも筋肉はつきます。
子供が大人になるため、男であるためにです。とっても当たり前のことなのですが
「なんであいつは、同じことをしているのに俺よりデカいんだ」
みたいな、などという筋肉についての悩みの答えになり得るので、それなりに重要な事実です。
筋肉痛
久々に運動したとき、普段のトレーニングのあと、多くは翌日以降に筋肉痛が起こります。
筋肉痛は筋組織の損傷によって引きおこされます。
損傷といっても、怪我と呼ぶほどの程度ではなく、もっと小さいものです。
トレーニングなどで、筋肉のスペック一杯に負荷が掛かったための損傷です。
道具でも機械でもスペックを超える、もしくはギリギリの作業をさせると、どっかかしら壊れたりしますが、似たようなものでしょう。
筋肉の場合、そんな許容範囲を超えるか、同等または近い作業させられると、回復の際に補強します。
いわゆる超回復という現象です。
この仕組みがあるので、トレーニングしたら筋肉痛にならなければいけないという考えが生まれます。
しかし、いちいち、ぶっ壊れる寸前まで負荷を掛けないと筋肉が強くならない、というわけではないのです。
トレーニングをするとターゲットにした筋肉については、筋肉痛になって筋肉が発達する、という過程で筋肥大を経験をしていますが、その他の、トレーニングをしない補助筋的な筋肉はどうでしょう。
意識して鍛えたわけではないのに、トレーニングをしていない人と比べると発達しているのが分かります。
例えば、私の場合だと、腹筋とか、前腕なんかは疲れた感じあるものの、大腿四頭筋や大胸筋の顔を歪めたくなるほど筋肉痛は皆無です。
だけれども、一般の人と比べると前腕は太いし、腹筋はコンテストで強みになるほどに発達しています。
もし、筋肉痛が筋肥大に必須な要素ならば、私の前腕と腹筋はトレーニングする前の状態でなければいけませんし、逆にトレーニングなんかしなくても、どこかに体をぶつけたり、殴ったりしてもらって、ボロボロに傷めつけて、筋組織を損傷させ、筋肉痛になれば、筋肥大がおこることになります。
しかし、実際は回復しても、サイヤ人のように戦闘能力が飛躍的上がるわけではありません。上がるのは治療費だけです。
筋肉の発達は、身体の仕様か、外界への適応で起こるものですから、身体が筋肉を増強させる必要があると思わせさえすればいいだけで、私の前腕と腹筋の発達の例をとっても、筋肉痛が必ずし必要ではないことがわかります。
筋トレのものさし
筋肥大に筋肉痛は必須でありませんが、別の利用法があります。筋トレの評価基準としての筋肉痛です。
トレーニングをして、そのトレーニングが筋肥大のために適切だったかどうか、どのように知ることができるでしょう。
その次のトレーニングで重量や回数が増えれば、前のトレーニングは適切だったと判断してもいいでしょう。
でも、それだけで十分でしょうか。
もし、フォームや気持ちの乗り方で重量や回数が伸びたのであれば、前回のトレーニングが良かったかどうかわかりません。
トレーニングの度に、エクササイズのフォーム崩して、重量が上がっているから正しい、と勘違いしている人を稀に見かけます。
周りの人より重量が重いので、自分のトレーニング法は間違っていないと、人に教えたがります。
なかなか恥ずかしい光景です。
逆に、フォームが改善されると、重量や回数は落ちるか、もしくは変わりません。
筋力が落ちたのかなと思ってしまいますが、ターゲットの筋肉への負荷が増大しているのですから仕方ありません。
外見上は変わっているように見えませんが、力の入れ方や、微妙な関節の変化でも筋肉への刺激は大きく変わります。
筋肉への刺激が感覚的にしかわからないこともありますので、客観的な数値の変化だけでは、トレーニングが適切がどうかを判断するには不十分といえます。
終わり
筋肉痛はターゲットの筋肉からのいわば「声」ですから、本当のところがわかります。
翌日に筋肉痛があれば、すくなくともターゲットの筋肉を、スペック一杯に刺激したことがわかります。
筋肉痛がなくても筋肉は大きくなりますが、大きくしようとしている側、つまり私達には、大きくなるための刺激が十分だったか知る必要があります。
そうでなければ、次にどのようにトレーニングをしたらいいのかがわかりません。
また、自分自身で、疲労度合いから上手くトレーニングと思っても、筋肉から「お知らせ」がなければ、トレーニングを見直す機会にもなります。
筋肉痛は、筋肥大に必須か、そうでないかに関わらず、筋肉の状態を把握するのに必要なのです。
マッチョな人が「筋肉と会話をする」なんてことを言うと、ちょっと頭がどうかしている、と思われてしまいますが、実際に声が聞こえる人はともかくとしても、筋肉とのコミュニケイトの方法の一つとして、筋肉痛は必要なのです。